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クイーン は、イギリス・ロンドン出身の男性4人組ロックバンドであり、僕がロック的啓示を受けたバンドの一つでもあります。

クィーンとは・・・

クイーン (Queen) は、イギリス・ロンドン出身の男性4人組ロックバンド。

1973年にデビュー。これまでに15枚のスタジオ・アルバム、その他多くのライブ・アルバムやベスト・アルバムを発表。現在の認定セールスでは、アルバムとシングルのセールスで世界第5位の3億枚を超え、「世界で最も売れたアーティスト」にも名を連ねている。

1991年にリードボーカルのフレディ・マーキュリーが死去してからも、残されたメンバーによるクイーン名義での活動は断続的に続いており、ギターのブライアン・メイとドラムスのロジャー・テイラーの2人が、2005年から2009年までポール・ロジャースと組んで「クイーン+ポール・ロジャース」として活動を行った。その後はアダム・ランバートを迎えた編成での活動も行なっている。

2001年には、マイケル・ジャクソン、エアロスミスらと共にロックの殿堂入りをした。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第52位。

世界的に有名なヒット曲としてボヘミアン・ラプソディ、ウィ・ウィル・ロック・ユー、伝説のチャンピオンなどがある。

苦戦を強いられ初期のクィーン

ファーストアルバム『戦慄の王女』リリース当時、母国イギリスでは「ディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、イエスの亜流」などとメディアから酷評。

遅れてきたグラムロックバンドと見られる節があり、また、彼らは、このアルバム制作から発売までに2年近くももたつき、結果、レコード契約から1年以上待機させられたため「発売時にはあらゆる意味で、時代遅れになっていた」という側面があった。

私感では、デビュー盤の「戦慄のクィーン」は好きなアルバムの1枚でした。

後にクィーンの専売特許とまで呼ばれたギターオーケストレーション、重厚なコーラス、クラシック音楽を基調としたハードロック、ピアノをフィーチャーした曲、ドラマチックな曲展開とクイーンとしての音楽的要素はすでに備わっていたと思います。

↓↓戦慄のクィーンからMy Fairy King with lyrics

クィーンの黄金期の序章

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セカンドアルバム『クイーン II』をリリースするもイギリスのメディアの評価はいっこうに変わらなかった。

そんなクィーンに転機が訪れます。シングル曲「輝ける7つの海」のヒットもあり、アルバムは全英5位のヒット作になり、本格的なブレイクの糸口を掴んだのでした。

その勢いに乗り3rdアルバム『シアー・ハート・アタック』からのシングル「キラー・クイーン」が全英2位のヒットなるのでした。

しかし・・・

年、ディープ・パープル、モット・ザ・フープルの前座として初のアメリカツアーを行うのですが、クィーンのギタリスト、ブライアン・メイが病に倒れツアーをリタイア。またしてもクィーンに試練が襲いかかるのでした。

しかし、クィーンはこの危機をメンバー全員で乗り越えることになるのでした。それは、日本来日公演が転機となりました。

日本ではクィーンのルックスや煌びやかなサウンドが若い女性を中心に人気を集めており、来日時の空港(当時は羽田空港かな。。)に1200人のファンが押し寄せ、武道館ライブは大成功を収めたのでした。

70年代ロックを代表する1枚、オペラ座の夜をリリース

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1975年に入り、ついにクィーンの大出世作となる「オペラ座の夜」がリリースされました。

このアルバムの一番のハイライト的な曲は、「ボヘミアン・ラプソディ」です。

当時としては常識外れの6分を越える曲尺。何トラックもオーバーダビングを重ねたコーラスワークはオペラを連想させるものであり、フレディ・マーキュリーがやりたかったことの集大成ではないかと僕は思うのです。

それにブライアン・メイの重厚なギターオーケストレーション。これも何トラックも重ねており、後にクィーンのギターサウンドの代名詞のようになりました。

フレディやブライアンばかりが目につく印象ですが、ベースのジョン・ディーコンはなかなかのメロディ・メーカーで、アルバム中の「マイ・ベスト・フレンド」は軽やかでキャッチーで、アルバム中でもキラリと光る秀作と言える曲だと思います。

↓↓マイ・ベスト・フレンド

この他にもこの「オペラ座の夜」には捨て曲がない完成度の高いアルバムに仕上がっており、イギリス特有のロックサウンド的であったり、プログレ風であったり、壮大なボーカルオペラ絵巻的な曲があったりとバラエティに富んでおり、クィーンの感性には当時、僕も物凄く感動を覚えたのを鮮明に記憶しています。

僕の中でのその後のクィーン

最高傑作と呼ばれた「オペラ座の夜」その後、5枚目のアルバム『華麗なるレース』をリリース。これは完璧に「オペラ座の夜」を踏襲したサウンドであったと思うし、その後にリリースされた『世界に捧ぐ』で僕は完璧にクィーンのサウンド的な興味が無くなりました。(あくまで僕の僕自身の私感です。^^;;)

これは「オペラ座の夜」が完璧すぎてこの二枚のアルバムが超えることが出来なかった。

そして、当時のロック界はパンクロックが流行しつつあり、その音楽シーンの流れを意識し、サウンド的にはシンプルな方向へ向かったのが、『世界に捧ぐ』ではなかったかと思います。トレードマークの一つであったコーラス・パートの全くない曲も収録されており、これはこれで、クィーンが音楽ビジネス上、練に煉った上での制作されたアルバムであったと思います。

クィーンは黄金期を向かえロックシーンを席巻するバンドの一つに成長し、フレディ・マーキュリーの死を持って、第一次クィーンは終焉をむかえたのでした。

その後、クィーンはフレディ・マーキュリー追悼コンサートや元フリーやバッド・カンパニーのヴォーカリストであったポール・ロジャースと組んで、「クイーン+ポール・ロジャース」として活動するなどで、従来のファンにも歓迎され、新たな多くのファンも獲得しています。

↑↑「クイーン+ポール・ロジャース」の情念のライブ

クィーン伝説は終わらないのです。

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