1980年代、分岐点にたったロックを象徴する二人のスーパースターの死

 

1980年代のロックシーンを統括すると、商業化した面と先鋭化したアンダーグラウンドに二極化したと言えるでしょう。

CDやMTVの登場で、音楽産業自体、大きな転換期を迎えた10年間ではなかったかと思います。

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2人のスーパースターの死が80年代の象徴であった

ジョン・レノンとジョン・ボーナム

60年代後期から70年代を象徴するロックのアイコンであった二人。

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60年代後半、ロックの基本形を作ったといえるビートルズ。そのビートルズの中心人物の一人がジョン・レノン。
ジョン・レノンはビートルズ解散後、活動を控え、愛妻、オノ・ヨーコとの生活と反戦運動にシフトしていたのですが、70年代の後半に入り、本腰をいれた新作「ダブル・ファンタジー」を発表した。
その直後に、ニューヨークの自宅前で熱狂的なファンに射殺される。

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ジョンボーナムは70年代のブリテッシュロックを牽引したレッド・ツェッペリンのドラマーであった。ジョン・ボーナムもレッド・ツェッペリン新作を引っさげて数年ぶりの全米ツアーを控えてのリハーサル中に泥酔したあげく急死することになった。

死にざまが二人の人生を物語っている

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ジョン・レノンは反戦運動やオノ・ヨーコを支え、ウーマンリブを通じて、思想やライフスタイルにも影響を与えた。
60年代にロックに革命を起こし、70年代に低迷し試行錯誤し、新たなスタートを切った矢先、凶弾に倒れ、その波乱の人生に終止符を打つことになる。

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かたやジョン・ボーナムは圧倒的なドラミングでシェッペリンの屋台骨を支えた存在。当時のロック・ドラマーの代表的な存在にもなった。
熱狂的なツアーは、語り草となっているエピソードも多い。
破滅型の典型的な生き方は、ある種、ロックの生き方そのものを体現していたと言えるのかもしれません。
レッド・ツェッペリンは、ボーナム脱退後、新ドラマーを迎えることなく解散することになる。
しかしながら、バンドの解散の本当の理由は、ツェッペリンは音楽的にやるべきことをやりつくしていたし、当時、台頭していたパンク勢に低迷を見せ始めていたことがバンド解散の理由とあげる意見も多かったのです。

時代は二人のスーパースターを必要としなかった。

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これは極論である。
1981年にMTVが登場する。
ロックは、思想や熱いライブからブラウン管を通じ、デフォルメされ娯楽としての産業音楽として発展していくことになる。
ロック音楽が音楽産業の稼ぎ頭の商業ロックとし音楽的にもビジュアル的にも大きく成長していく。

時代は移り、カリスマとバンドマンが生き抜くには困難な時代を迎えた。二人のスーパースターの死はそのことを象徴しているようでならないのです。

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