1970年代、アメリカン・プログレ・ハードの旗手。スティクス

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70年代、ロックの新しい波は、変拍子やクラシック音楽などに接近したイギリス産のプログレシヴ・ロックが人気を博していました。

その代表格がピンク・フロイドやイエスといったバンドでした。

そして海を隔てたアメリカのプログレ・シーンはイギリスとは異質なサウンドで、特に「アメリカン・プログレ・ハード」などと形容されていました。それはイギリスのプログレとは一線を画すものでした。

もちろん、イギリス同様、変拍子の多用やクラシックとの接近もなかったわけではありませんでしたが、総じてハードでありキャッチー、そしてドラマティックがウリでした。

その「アメリカン・プログレ・ハード」の旗手が、スティクスやジャーニー、ボストン、カンサスといったバンドでした。

二人の確執 

アメリカン・プログレのバンドで真っ先に思い浮かべるのはやはりこのスティクスです。初期のアルバムでは特に英国風プログレサウンドの色が濃く、1曲が13分にも及ぶ大曲がありましたが、アメリカではヒットには及びませんでした。

スティクスはその後、プログレ色は薄れるものの大幅なサウンドの変更へ舵をきりました。

時代の流れもあるのですが、ポップでかつハードないわゆる「アメリカン・プログレ・ハード」路線への転換でした。もはや、彼らのサウンドはプログレではなかったのですが、当時、まだ黎明期にあったシンセイザーを多用したりとその点、プログレと言えばそうであったのかも知れません。

スティクスのフロントマンは、ボーカルのデニス・デ・ヤングでした。全米1位を獲得した「ベイブ」などを作曲しています。

そして、ギタリストとして後にトミーショウが加入します。ポッスセンスに秀でていたトミー・ショウが加入したことで、一般的な人気を博すこととなり、多くのシングルヒットを飛ばすことになるのでした。

「ベイブ」はトミーショウが加入してすぐの頃でした。

スティクスの新しい顔となったトミーショウ。1980年に入ってから、スティクスの代表的なアルバム「パラダイス・シアター」がリリースされ、人気・実力とも頂点を迎えることになります。

その後、デニス・デ・ヤングとトミーショウとの間に亀裂が生じます。

そしてそれぞれがソロ活動を行うようになり、アメリカのミュージックシーンの表舞台からフェードアウトすることになります。まさにパラダイスシアターのアルバムコンセプトを地でいった格好になったのはなんとも皮肉。

そして、「両雄並び立たず」という格言も真実味をもって私の胸に突き刺さるものがありました。

その後、スティクスは、時を隔てながら再結成をおこないつつ、現在も継続されていますが、デニス・デ・ヤングとトミーショウが再び顔を合すことはまだ実現していません。

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