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トーキング・ヘッズの最初の印象は奇妙なボーカルのニューウェーブのロックバンドというものでした。

当時、ニューウェーブというジャンル自体が既存のロックの枠にとらわれない”新しい音楽”、”実験的要素の音楽”みたいな括りだったように思われます。トーキング・ヘッズはアメリカ出身のニューウェイブ、ポストパンクの代表格でありますが、1974年から1977年までのその黎明期には、オーディションに不合格を受けるなど不遇な時を経験しています。

というかトーキング・ヘッズのサウンドそのものが受け入れがたいものだったのかも知れません。

ブライアン・イーノがプロデュース

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トーキング・ヘッズは1975年に入り、ラモーンズやブロンディの台頭などによるパンク、ニューウェーブの波にのり、一転、音楽業界内で高い評価を得るようになります。ちょうど新しい”サウンド”を時代が求めていた時代と符合したという点ももしかして、ラッキーだったのかも知れませんが、ブライアン・イーノによるプロデュースは大きなアドバンテージであったと言えるでしょう。

ブライアン・イーノに関しては、本稿では割愛致しますが、一般的にはアンビエント系の先駆者として知られている存在で、元ロキシーミュージックのメンバーであり、デヴッド・ボウイのプロデュースを手掛けています。

ちなみにWindows95の起動音は彼の作曲によるもので、知らぬまに世界中の多くの人が彼の音楽を耳にしたということになるワケです。

さて、ブライアン・イーノをプロデューサーに迎え、バンドは楽曲の中でよりリズム感やグルーヴ感を追求するようになったようです。このアルバムがヒットすると、バンドはようやく一般的な認知度を得るようになったのでした。

その後、アフリカ音楽などに傾倒し、もはやニューウェーブの枠に収まりきれなくなったトーキング・ヘッズでしたが、この時期がやはり音楽的のも一番のピークでしょう。

そして、「リメイン・イン・ライト」をリリースするに至り、ブライアン・イーノとトーキング・ヘッズの最も昇華されたアルバムに結晶されます。事実、アルバムリリースが1980年なのですが、80年代の名盤をあげる特集などでは、必ず上位に選ばれる作品となっています。

このアルバムを最後にブライアン・イーノはトーキング・ヘッズのプロデュースを降りています。アフリカ音楽を取り入れたコラボレーションは、後にワールドミュージックの土壌を作ったアルバムという評価がなされており、それゆえに80年代を代表するアルバムということになっているようです。

実際、このアルバムで聴けるグルーヴはやはり斬新であり、アフリカン音楽の魅力というものを感じます。ブライアン・イーノもトーキング・ヘッズというフィルターを通じてやり尽くした感があったのかも知れませんね。

ソロ活動への移行

「リメイン・イン・ライト」以降、しばらくアルバムリリースがありませんでした。ブライアン・イーノがプロデュースを離れ、セルフ・プロデュースにて制作されたアルバム『スピーキング・イン・タンズ』をリリース。トーキング・ヘッズ唯一のトップテンヒットを記録するも、その後、バンド内での不協和音が響くようになり、各メンバーのソロ活動が増え、バンドは解散への歩を進めることとなりました。

リメイン・イン・ラインがこうも評価が高いのは、サンプリングやループ手法の先取りを行っている点などが挙げられるようです。いずれにしてもこのグルーヴは新鮮であったし、いわゆる”クセ”になるサウンドですね。

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