70年代ロック:ロックの救世主、ブルース・スプリングスティーン
- 2014/12/1
- 02 長崎音楽日記
- ブルース・スプリングスティーン, ボーン・イン・ザ・USA
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現在でも巨大なスタジアムを満杯にする人気ぶりやアメリカ大統領と肩を並べる姿などを見るにつけ、ブルース・スプリングスティーンは改めてロック界の大御所であることを感じます。
当時のロック界にもたらしたもの
ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen, 1949年9月23日 – )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ロングブランチで生まれ、フリーホールド育ちのシンガーソングライター。父はオランダ系とアイルランド系の混血のトラック運転手、母はイタリア系アメリカ人。敬虔なカトリック教徒。
アメリカを代表するロックン・ローラー。通称は「ボス(Boss)」。
初期の作品においては、青春群像の描写に際立った才能を示したが、やがて社会的なテーマを作品に織り込むことによって、アメリカ民衆の声を代弁する存在へと成長した。
1970年代前半のロック界はロックが持つ本来のストリート感覚が希薄になりつつあり、内省的な私小説を歌うシンガーソングライターや自然志向なカントリー・ロック、グラム・ロック、プログレシヴ・ロックなどが幅をきかせていた。
そんな中、ブルース・スプリングスティーンのデビュー作は『アズベリーパークからの挨拶』。しかしセールス的にはまったく振るわず、クラブ・サーキット中心のライブ活動に活路を求めた。
そして結果的にこの時の経験が圧倒的なライブパフォーマンスで大きく開花し、アメリカンロックを象徴するまでに昇りつめるのである。
アメリカンロックのアイコンになる。
1973年の後半、セカンド・アルバム『青春の叫び 』を発表するに至り、評論家筋からは高い評価を得た。一方で地道なライヴ活動が実を結び、圧倒的なパフォーマンスが評判を呼ぶようになっていた。
翌年の1974年に、ライヴを観たロック評論家ジョン・ランドーは、リアルペーパー誌に「私はロックン・ロールの未来を観た。その名はブルース・スプリングスティーン」と絶賛のコラムを掲載する。
そのランドーをプロデューサーに招いて製作された、サード・アルバム『明日なき暴走 』は、発売1週間後にチャートトップ10に入り、チャートで3位となるヒットとなった。
同時に、タイム誌とニューズウィーク誌の表紙を同時に飾るという快挙も成し遂げるのである。これにより、ブルース・スプリングスティーンは一気にロック界の新たな英雄の座につくのである。
ボーン・イン・ザ・USA
1980年代に入り、米英の両国で大ヒットしたブルース・スプリングスティーンの代表曲。
この時期、MTVが世界中を巻き込むブームを向かえており、ブルース・スプリングスティーンの歌う『ボーン・イン・ザ・USA』では、強い大国アメリカの象徴を思わせる星条旗を背に力強く歌われた映像は、ブルース・スプリングスティーンのその後のイメージを決定的なものにしました。
2000年代に入り、アメリカで発生した同時多発テロ事件に端を発し、ブルース・スプリングスティーンの活動にも大きな影を落としました。
追悼イベントへの参加やアフガニスタン侵攻の賛同やイラク戦争の反対表明。2005年には、アルバム『デビルズ・アンド・ダスト 』を発表する。
このアルバムでは個人の信条と政治や社会の間で苦悩する人々の姿が描かれており、これはブルース・スプリングスティーン自身を投影しているアルバムであると言えるでしょう。
『ボーン・イン・ザ・USA』はブルース・スプリングスティーンを一躍世界的スターダムに押し上げたが、同時に巨大な名声との格闘を強いることになったのは確かである。
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