サディスティックロックの女王/スージークアトロ

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「サディスティックロックの女王」これが1970代初頭、スージークアトロの日本でのキャッチコピーであったと記憶しています。

当時の僕はまだ幼すぎて?(笑) サディスティックの意味も知らずで・・・ しかしまあ、たいそうなキャッチコピーだなぁ、、と思いますね。^^

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全身クロのジャンプスーツに身をもといワイルドに演奏するというのが、凄い斬新であったし、それまでロックは男子中心の音楽であったし、ギター、ドラムなど厳つい男を従えたスージークアトロのいでたちはショッキングでもありました。まだ当時は女の子がバンドなんて!!という時代でしたからね。

ではそんなスージークアトロのご紹介をしてみましょう。

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ロックンローラー・/スージークアトロの魅力

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日本での最初のシングルは、「キャン・ザ・キャン」ではないのでしょうか・・・このあたり、僕も確信があるワケではないのですが、記録によれば「Rolling Stone」というシングルがデビュー盤のようですが、これは僕も聴いたことがないのです。

↓↓スージークアトロ、「48クラッシュ」

この曲は「キャン・ザ・キャン」の次にリリースされたシングルですね。日本でも結構売れてましたね。

キャッチーでなかなかボトムの太いサウンド。映像で見るスージークアトロもかなり魅力があります。ギターの人はファイヤーバードを弾いてますね。^^

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ルックスはその歌声やアグレッシヴな演奏スタイルとは違って、日本人が好みそうな可愛い顔立ちですし、そのギャップが良かったのかも知れません。当時は、映像で見るなんてことはなく、全くの想像の世界ですし、ロック専門誌がほぼニュースソースでしたから、今、こうしてYouTubeで見れるのはナントも嬉しい限りです。

本国アメリカではイマイチだったスージークアトロ

スージークアトロの出身国はアメリカのミジガン州デトロイト。

ウィキペディアによれば、1970年6月にデトロイトで歌っている際、ジェフ・ベックのモータウン・スタジオでのレコーディングのために同地に来ていた音楽プロデューサーのミッキー・モストによって高い評価を受け、1971年末、ミッキーを頼って渡英する。とありました。

まあ、事情はどうあれイギリスで前述しましたように人気に火がつき、日本でもかなり人気が高かったスージークアトロでしたが、アメリカではやや事情が異なり、人気もイマイチ。

スージークアトロ自身が本国アメリカでの成功を願っていたのかは知る由もありませんが、当時の人気ロッカー、アリス・クーパーとツアーを行うなど大掛かりなプロモーション活動の実績もありますし、当時のロックミュージックのマーケットとしてのアメリカの魅力は大きかったハズですので、商業的な成功を目指しての活動であったのだろうと思います。

皮肉なもので、イギリスでの人気のピークを過ぎた頃の1970年代後半、やっとアメリカで邦題「メロウな二人」がチャート4位という大ヒットを記録するのですが、その後が続かず短期的な成功にあまんじています。

↓↓アメリカでヒットした邦題「メロウな二人」

うーむ、、、完璧にポップ路線ですねぇ、、これ。曲は全然悪くないし、ヒットチューンのキャッチーでイカす曲なのですが、スージークアトロのこれまでのイメージとは一変してますね。。。個人的にはなんだか複雑です。

女性ロッカーの旗手/スージークアトロ

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スージークアトロ以外にも同時期、あるいはその前後で、ジャニス・ジョップリンなどもいましたが、自ら楽器をプレイし、男どもを従えてシャウトするというスタイルではスージークアトロがその走りであるの異論がないところでしょう。

何事においてもそうのようにパイオニアはやはり記録には残らなくとも記憶に残るものです。

スージークアトロがまさにそうで、僕も当時のレコードを数枚所有していますが、たまにターンテーブルに乗せることがあります。現在では女性ロッカーも女性バンドも珍しくありませんが、その系譜を辿ればスージークアトロにいきつくのではないだろうか、、、記録より記憶に残るロック・アーティストですね。

↓↓The Wild one(ワイルド・ワン)

この曲はBOØWYのシングル曲「Marionette」のB面曲として収録もされてますね。

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