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Tear’s in Heavon とジョージ・ハリスンとの日本ツアー
- 2014/2/18
- 07 黄金の70年、80年代のRock
- 2 comments
ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの疎遠だった仲が回復、80年代はふたりとも順調に音楽活動を続けてゆく事となります。
特にクラプトンに関してはブルースから様々なアメリカの音楽を取り入れ、様々なミュージシャンと活動し数多くのアルバムを精力的に出しているのもこの頃です。
しかし、クラプトンはこの時期にアルコール依存症となる、そしてパティと別居、一旦復縁するが結局は離婚してしまうこととなるのが1989年のこととなります。
アルバム「ジャーニーマン」
しかし、この頃にクラプトンはアルコール依存症も克服、ジョージ・ハリスンの音楽活動もクラプトンを完全に後押ししていて名作といわれるアルバム「ジャーニーマン」が発売されます。
このアルバムはクラプトンの音楽性の高さが再評価される事となりましたが、このアルバムの「old Love」はパティの事を歌った歌だと言うのが調べてわかりました。
アルバム「ジャーニーマン」の「old Love」イントロとその後、アンプラグドで歌う「old Love」のイントロと違っていて、アンプラグドの「old Love」は明らかに「いとしのレイラの」のイントロのリフそのものでした。
この辺は微妙ですね。。。。
そしてジョージも久々の第一線で活躍する「クラウド・ナイン」というアルバムを発売することとなります。
このように70年の末に波乱はありながらも、80年代はジョージ・ハリスンとクラプトンにとってもいい時代であった事が伺えます。
そして、ジョージ・ハリスンの完全復活を後押ししてクラプトンがジョージに日本ツアーを提案します。
クラプトンはジョージ・ハリスンのファンが日本に多い事を知ってたんですね。
Tear’s in Heavon
ところが、この直後、クラプトンに大きな悲劇が起こります。
「Tear’s in Heavon」クラプトンの愛息コナーに捧げる曲としてあまりにも有名となってしまいましたが、
1991年3月クラプトンの愛息コナーがマンションの53階という高さから転落死していまうという悲劇が起こりました。
クラプトンも大きなショックで音楽活動を停止、一時期ギターを持つ事もできないくらいだったと言われています。
このような、大きな悲劇のなかで、クラプトンに手を差し伸べたのがやはりジョージ・ハリスンでした。
ジョージハリスンとクラプトンの日本ツアー
クラプトンがジョージに提案した日本ツアーをジョージがクラプトンを励まし、ともに実施する事となります。
そしてついに、1991年の12月にはジョージハリスンとクラプトンの日本だけのツアーが実施されます。
ジョージハリスンとクラプトンお互いを支えあうことでファンの多い日本でツアーをやったたことは非常に嬉しいことですね。
このアルバムは2枚組のCDとして発売されていて
ジョージハリスンとクラプトンのヒット曲をライブ版として聴く事ができます。
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コメント
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ジョージとクラプトンの1991年来日ツアー観にいきました。
東京ドームの初日と最終日。
良かった~最高でした。
欲を言えば初日の横浜アリーナも観とくんだったなあ・・・
この日だけ「Love Comes Everyone」をやったんですよね。
Tatsuyaさん羨ましいです。
当時は九州に住んでてクラプトンとジョージが来てたのは知ってたんですがね〜
クラプトンを始めてみる事になるのはその後ずっと経った94年だったかな、福岡に来た時でした。
ネーザンイーストとガットも来て大感激でした。
昨日のクラプトン良かったです!!