1980年パンク第二世代【ハードコア】の台頭!!

セックス・ピストルズのアイコンであったジョニー・ロットン改めジョン・ライドンがこう叫んだ!

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「ロックン・ロールはもう終わった!」と・・・

1980年に入りロック・シーンはパンクの革新性を音楽的に発展させさまざまな方向へと核分裂を行いニュー・ウェーブの時代へと舵を切った。

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パンクは灰になった

70年代後半に衝撃とともに世界を席巻したセックス・ピストルズもたった1枚のアルバムを残し、過去の遺産になりつつあった。「パンクは死んだ。」誰もがそう思っていた。若者の閉塞感はどこへ向かうのか?そんな時、「パンクはまだ死んではいない!」とばかりにイギリスの地方都市からディスチャージ、エクスプロイテッド、BGHなどの新しいパンク・バンドが現れた。

↓ディスチャージ

正確には活動時期は1977年頃から。

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60年代のビートルズや70年代のセックス・ピストルズ、ジャンルは違えどプログレシヴ・ロックのピンクフロイド、グラム・ロックのTボランにデヴィッド・ボウイ、ブルースロックのクリームと常にロック史はイギリス勢を中心に新しいムーヴメントが出現し、世界を牽引した。

そして新しいパンク・バンドのムーヴメントもやはりイギリスからだった。いわゆるパンク第2世代。そう、彼らはピストルズやクラッシュに刺激された世代であった。彼らは「俺達は俺達のパンクをやるぜ!」という気概とともにパンクロックシーンの拡大や拡散によって死にかけていたパンクの本質に改めて迫ろうと試みたのであった。

すべてはこの曲が引き金となった。ピストルズ「ゴッド・セイブ・ザ・クィーン」

その表現方法、つまりはルックスにしても演奏にしても超過激であった。中には政治的メッセージに長けたバンドさえ出現した。そしてこの熱はイギリス全土を侵食した。

パンクはもう終わった・・・と考えていたメジャー・レーベルは見向きもしなかった。しかしインディーズレーベルから続々と彼らの音源がリリースされたやがて、ハード・コアとジャンル分けされた彼らの音楽はヒットチャートに食い込み、パンクはまだ死んではいないことを図らずとも証明する結果となった。

ハードコアバンドが残したもの

同じ頃、まるで伝染病が広がるごとくアメリカでもデッド・ケネディーズやブラック・フラッグ、マイナースレッドと言ったハードコアバンドが活動をはじめた。そしてこの流れはその後のグランジ・オルタネイトといったバンドへと発展するのである。

デッド・ケネディーズ

そのハードコアの表舞台での短命さは潔くもあり、次のグランジ・オルタネイトへバトンを渡す役割を担ったといえるのではなかろうか、、、

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