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1980年代の洋楽の名曲
- 2014/11/9
- 07 黄金の70年、80年代のRock
- ロンリー・ハート, 今夜はビートイット, 素直になれなくて
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1970年代の特集を先日書きました。
今回は1980年代の洋楽の印象深い名曲を思いつくまま紹介してみます。
素直のなれなくて:シカゴ
「素直になれなくて」(Hard to Say I’m Sorry)は、アメリカのロックバンドであるシカゴが1982年に発表した楽曲で、代表曲のひとつ。
バンドメンバーのピーター・セテラとプロデューサーのデイヴィッド・フォスターが制作した。同年、全米シングルチャートで2週間1位を記録した。なお、アルバム『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』に収録されている。
この曲は、シカゴが今までのホーン・セッションを中心にしたソフトロックスタイルから大きな転換をみせた最初の曲。シンセサイザーの導入と、エレキ・ギターが中心のサウンドとなっている。この変化もあってか、当時商業的には全盛期を過ぎていたと考えられていたシカゴが、久々に見事に全米シングルチャートで1位を記録した曲でもある。もちろん、メロディや曲として秀作であったのは言うまでもない。日本国内でもCM曲に使われたり、かなりヒットしたシカゴの名曲中の名曲でもある。
ロンリー・ハート:イエス
ロンリー・ハート (90125) は、1983年に発表されたイエスのアルバム。それまでのプログレッシヴなサウンドとは打って変わり、ポップな作風である。ちなみに原題の「90125」という数字は、ただの発売当時のレコードの品番であり、深い意味はない。解散していたイエスの再結成アルバムとして話題となった。
このアルバム発表時のメンバーは、ジョン・アンダーソン(ヴォーカル)、クリス・スクワイア(ベース)、トレヴァー・ラビン(ヴォーカル、ギター)、アラン・ホワイト(ドラムス)、トニー・ケイ(キーボード)の5人。そして、プロデュースはトレヴァー・ホーンが手掛けている。但し、レコーディングにおいて、トニー・ケイはほとんど演奏に参加しておらず、スタジオ・ミュージシャンとして参加していたチャールズ・オリンズがキーボードのほとんどを弾いている。
イエスの代表作と言えば「こわれもの」、「危機」が真っ先に連想されますね。しかし、ロンリー・ハートはポップでモダンなロックに仕上がっており、180度サウンドの舵を切ったといってよいだろう。この曲はヒットし、イエス初のビルボード誌で第一位を獲得するのである。
80年代はそれまでの難解なプログレロックの繁栄と衰退。それによるサウンド的揺り戻しにより、ポップな方向へ向かった時代であったように思う。
今夜はビート・イット:マイケルジャクソン
1980年に入るとジャクソンズのマイケルジャクソンがソロとなり、一気にポップミュージックシーンはマイケルジャクソンを中心に動き出したといって過言ではないだろう。
今夜はビート・イット は、マイケル・ジャクソンの楽曲、及びアルバム『Thriller』から3作目のシングルカットされた1曲である。
ハードロックとR&Bの融合が特徴的で、エディ・ヴァン・ヘイレン、スティーヴ・ルカサー、ポール・ジャクソン・ジュニアのギタリスト3人が参加しており、エディはギター・ソロも担当している。エディは、ビクトリーツアーの一公演に飛び入りで参加し、ソロ・パートを弾いている(その時の写真や動画が少なからず存在する)。ミュージック・ビデオは、ウエスト・サイド物語をモチーフとしている[1]。 2008年2月に発売された『Thriller 25』には、この曲をリミックスしてファーギーのボーカルをフィーチャーしたものが収録されている。
80年代にはいりそれまでサウンドのみの流通から、MTVの登場により、サウンド+映像 のコラボレーションの時代に突入した。マイケル・ジャクソンはその巧みなダンステクニックとルックスもさることながら、映像による音楽のプロモーションをおこなった先駆けであるといえる。
音楽と映像は切っても切れない関係性が築かれた。その先駆者はマイケル・ジャクソンである。そう言えるのではないでしょうか・・・
映像によるイマジネーション。TVで聞く音楽。新しいスタイルは80年代に生まれた。そして、現在はスマホで音楽を聴く。YouTubeで音楽を映像とともに楽しむ。。この新しい音楽の関係性は80年代初頭、マイケルジャクソンによってはじめられた。いわば彼はパイオニアである。
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