80年代、ロックが分岐点に立った二人のジョンの死

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ジョン・レノンとジョン・ボーナム

80年代に二人のジョンが他界した。
このことは80年代、ロックミュージックが転換期を迎えたことを象徴していたと言えるだろう。

ジョン・レノンの死

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60年代にロックのまさに基本形を創り上げたビートルズ。その中心にいたジョン・レノン。70年代にハード・ロックを発展させたレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナム。二人のジョンはいずれも新たなロックの旅への再出発を模索していた矢先にこの世を去った。

ジョン・レノンは70年代後半に入り、「ダブル・ファンタジー」をリリースした直後、ニューヨークにある自宅前で狂信的なファンの凶弾に倒れた。ジョン・ボーナムは新作「イン・スルー・ジ・アウトドア」をリリースし、数年ぶりに予定されていたアメリカツアーのリハーサル中に泥酔がきっかけによる突然の事故死で他界した。

二人のジョンの死にざまは二人の人生を物語っていたといえるだろう。。。

ジョン・レノンは反戦運動や妻のオノ・ヨーコを支えるウーマン・リブ活動を通して、思想やライフスタイルにも大きな影響を与えた。60年代にポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴスターとともにビートルズの一員としてロックに革命を起こし世界中を席巻した。1970年にビートルズの事実上の空中分解。解散後、オノ・ヨーコとともに新たな人生と音楽活動を始めた矢先、凶弾に倒れた。

時代のカリスマは、時として予期せぬ愛情や憎悪の対象となった。

ジョン・ボーナムの死

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ジョン・ボーナムはその圧倒的なドラミングでレッド・ツェッペリンのロックサウンドを支えた。熱狂的で狂乱とも言えた数々のツアーやライブは、当時頭角を表していたローリング・ストーンズとともにハードロックのアイコンと呼ぶにふさわしい支持を得ていた。

ジョンボーナムは、破天荒な破壊的生き方で自らを死においやった。

結局、レッド・ツェッペリンの代わりのドラマーはおらず、バンドは解散するしかなかった。70年代にハード・ロックの一時代を築きあげたスーパーバンドでさえもパンクロックの新しいムーヴメントの前にその主役の座を奪われつつあったし、バンドもやるべきことはやり尽くし、今後の向かうべき方向性や音楽的にも壁に直面していた。この時期、レッド・ツェッペリンはバンドとしての閉塞感が支配しており、曲がり角にあったことも重なり、最終的にジョン・ボーナムの死という形でメンバー自らが自らのバンドに終止符を打った。

二人のジョンの死はロックの転換期の象徴

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二人のジョンの死はロックミュージックの大きな転換期と符合する。

1980年に入りあのMTVが登場する。映像によるビジュアルでのロックの拡散。これはこれまでのロックが行ってきた反骨思想や熱い熱狂的なライブからの距離を置くことを意味した。

ビジネスとしてロックショーは、僅か数インチのブラウン管の向こう側で演じられるクールなロックミュージックとなった。

多くのファンを生みつつもロックの本質もまた死んだ。

二人のジョンの死はカリスマ的なキャラクターとカリスマが今後のロックには不要であるという事を象徴しているように映るのである。

※MTV: Music Television(エムティービー: ミュージックテレビジョン)はニューヨークとロンドンに本部を置く、アメリカの若者向けのケーブルテレビ・チャンネル。

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