ジョージ・ハリスンとクラプトン2「ベルボトムブルース」

前回はジョージ・ハリスンとクラプトンの出会いを書いてみましたが、今回は様々な難題を抱えながらも
ドラック中毒からクラプトンの復活に果たしたジョージ・ハリスンの友情を書いてみたいと思います。

Bell bottom blues

クラプトンとジョージ・ハリスンの音楽活動はお互いを支えあいながら順調にすすんでゆきます。クラプトンの交流のあったアメリカのバンド、ザ・バンドをジョージに紹介しボブディランとも親交を深めてゆきます。そしてジョージはクラプトンのその後の音楽的方向性を決めたともいわれる、デラニー&ボニーを紹介しお互いの音楽活動に大きな進化をみせています。

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「ベルボトムブルース」の中での切ない気持ち

しかし、その一方でクラプトンとジョージ・ハリスンのお互いの中が深まる程、ジョージの妻、パティへの思いがつのるクラプトンの苦悩が続きます。そしてそのパティへの消え得ぬ思いを曲にした曲「いとしのレイラ」とそのアルバム
Derek&The Dominos デレクアンドザドミノス / Layla & Other Assorted Love Songs
がヒットします。

パティ・ボイド

パティ・ボイド

ちなみに僕は「いとしのレイラ」のアルバムでは、クラプトンの苦悩を歌にしているのは「いとしのレイラ」よりも「ベルボトムブルース」のほうかな?と思います。

「ベルボトムブルース」の歌詞

出だしの歌詞だけでも分かります。
おそらくベルボトムのジーンズはパティからクラプトンへの贈り物だったのではと思われます。
そして、この歌はレイラと違い、生きてるうちには叶わぬ恋と歌ぅています。

Bell bottom blues, you made me cry.
I don’t want to lose this feeling.
And if I could choose a place to die
It would be in your arms.

この時期、「いとしのレイラ」の発売と同時期、クラプトンは様々な不幸に見舞われます。
友人ジミヘンドリックスの死はクラプトンと待ち合わせ場所に来ないジミ、、、しかしこ日に彼は死んでしまいました。
また、父親代わりに自分を育ててくれた叔父の病死
パティへのつのる思いとジョージとの間の葛藤。
クラプトンは現実逃避のためドラッグへと走ってしまいます。

Bell bottom blues

Bell bottom blues, you made me cry.
I don’t want to lose this feeling.
And if I could choose a place to die
It would be in your arms.

Do you want to see me crawl across the floor to you?
Do you want to hear me beg you to take me back?
I’d gladly do it because
I don’t want to fade away.
Give me one more day, please.
I don’t want to fade away.
In your heart I want to stay.

It’s all wrong, but it’s all right.
The way that you treat me baby.
Once I was strong but I lost the fight.
You won’t find a better loser.

Bell bottom blues, don’t say goodbye.
I’m sure we’re gonna meet again,
And if we do, don’t you be surprised
If you find me with another lover.

I don’t want to fade away.
Give me one more day please.
I don’t want to fade away.
In your heart I long to stay.

そこで、更なる悲劇が追い打ちをかけます。
「いとしのレイラ」でクラプトンとギターをわかちあったデュアン・オールマンの突然の交通事故死
これにより目標を失ってしまったクラプトンは更にドラッグへの依存を高めてしまい心身ともにボロボロの状態になってしまいます。

そして実際1971年から1974年の3年間クラプトンは音楽活動をやめてしまっています。
ちなみに71年はジミヘンドリックスの死、ビートルズが解散した年でもあります。

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バングラデシュ難民救済コンサートとレインボーコンサート

このまま、消え失せてしまいかねない、クラプトンをなんとか音楽の世界にひきもどそうとしたのが、やはりジョージ・ハリスン
でした。

ジョージ・ハリスンの人間的な大きさは計り知れません。
ビートルズの解散後、ジョージ・ハリスンにまかされた大イベントのバングラデシュ難民救済コンサート
ジョージ・ハリスンにとってもビートルズの冠をすててはじめての大イベントで失敗は絶対に許されないコンサートでした。
ジョージ・ハリスンにとってそのような大プレッシャーのかかったコンサートでジョージはクラプトンに出演を決意させます。


Eric Clapton-Pete Townshend-07-Little Wing-Live Rainbow 1973

当時のクラプトンは麻薬中毒でステージに立つのも出来ないくらいと言われてました、クラプトンは明才は欠いたもののクラプトンはジョージの友情に答えて気力でこのステージをこなしています。

そして、多くの音楽仲間が支えてくれたレインボーコンサート、少しづつではありますがクラプトンの復活の兆しがでてきました。

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