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- 02 長崎音楽日記, 07 黄金の70年、80年代のRock
- ロックがロック産業としてマーケットが巨大化した70年代
ロックがロック産業としてマーケットが巨大化した70年代
- 2014/1/1
- 02 長崎音楽日記, 07 黄金の70年、80年代のRock
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長崎管理人のシュンです。
「明けましておめでとうございます。」さてさて2014年のはじまりです。みなさま!昨年はどんな一年でしたか?一年のはじめに、「黄金の70年、80年代のRock」はこの記事からはじめます。^^
↓70年代ロック産業巨大化のきっかけを創ったピーターフランプトンのアルバム2枚組ライブアルバム「フランプトン・カムズ・アライヴ!」
70年代、正確には70年代半ば頃になりますが「メガヒットが続出し、ロックがロック産業としてマーケットが巨大化」した年代であると云えます。良くも悪くもロックが特に若者の音楽という好意的な形で認知がなされ、これがレコードセールスやライブの集客を右上がりに上昇させ、(儲かる産業)として多くのロックに無関係な企業や企業家、投資家などがむらがった。これはある種、ロック界の悲劇でもあり、反面、次代へ続く華々しく華麗にデフォルメされ、更に巨大化する流行音楽への道しるべとなった。僕はそう思うのです。
前述した前兆は既にビートルズやそれ以前にはエルビスプレスリーなど特別なスーパースターやスーパーバンドが先鞭をつけていたが、ロックを巨大化産業にするきっかけが70年代半ばに突然に起こった!!
それは・・・
76年にリリースされたピーター・フランプトンの2枚組ライブアルバム「フランプトン・カムズ・アライヴ!」だ。意図したものかどうかは定かではないが、2枚組なのに1枚組とあまり変わらない価格設定というお値打ち感も後押しし、ナント!全米チャートで10週間にわたり1位を獲得するという大ヒットを記録するのだ。そしてそのセールスは今日まで累計で600万枚を越えれるセールスを記録している。
当時、ビルボードをはじめとするヒットランキングチャートの権威は絶対的な指数であり、少なからずレコードやミュージックテープ、ライブ動員などに寄与したことは想像するに難しくない。現代で云うこれは(メディアミックスの原型)であると僕は思う。
↓当時、絶対やぶられないだろう!と言われた空前の売り上げを記録したフリート・ウット・マックのアルバム「噂」!
さて、当時このピーター・フランプトンのセールス記録はどのアーティストも破れないであろう。この見方が業界内、いや僕ら音楽ファンにしても大方の見方であった。ところがである!翌77年。フリード・ウッド・マックのアルバム「噂」がその記録をあっさりと破ってしまったのだ。全米チャートに1位にこれまた30週以上もとどまり、空前のヒット作となった。今日まで全世界4000万枚を超えるセールスを記録しているというのだから恐れ入る。しかもこれはエルビスもビートルズも達成していない大記録だ。
そしてこの年を境に長期にわたって売れ続ける作品が目立つようになる。そして76年発売のイーグルスの「グレイテスト・ヒッツ1971~1975」は現在までアメリカで2900万枚以上、全世界で4200万枚を超える大記録を達成し、今日でも「音楽史上最も売れたアルバム」と言われている。
↓音楽史上最も売れたアルバム。イーグルスのアルバム、グレイテストヒット1971~1975
その他、プログレシヴロックの大御所、ピンクフロイドの73年発売の「狂気」のアルバムは73年から88年までの740週以上にわたり全米チャートに居座り続けたのだ!これもすごい!
70年に入り急速な成長を続けてきたロックが76年以降、安定期に突入。これにより、意図的にヒットを狙った商業ロックなども目立つように・・・ 中には商業ロックと揶揄されるバンドもあったりで、まさに光と影を大きく際立たせることとなった。こうして70年代半ば以降、ロック界、ロックミュージックは二面性を含有しつつ成長を続けるのであった。
そしてこの商業ロックに背をむけるべくアンチテーゼとしてのパンクロックの誕生をむかえるのであった。
パンクロックについてはまた後日紙面をさいて語らせて頂きます。☆
☆では誌面でとりあげた各バンド、アーティストの曲を聴いてみましょうか!
1.プーターフランプトン、「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」
2.フリード・ウッド・マック(噂に収録されている1曲。大好きな曲「アワン・ウェイ」
3.大御所イーグルス(呪われた夜) 琴線にふれるメロディ。そして素晴らしい演奏!
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