レイジー(アイドルバンド!?)⇒ラウドネスの軌跡

長崎管理人のシュンです。

70年代に活躍したアイドルバンド、レイジー!
しかし、アイドルとは名ばかりの凄いバンドでもあった。
のちにギターの高崎氏と樋口氏はラウドネスを結成!世界的なハードロックバンドへ!
ボーカルの景山氏は、言わずと知れたアニメソングの重鎮!
そんなレイジーの軌跡を追った。

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レイジーのメンバー達

まずメンバー紹介です。

・ボーカル:ミッシェル/影山ヒロノブ
・ギター:スージー/高崎晃
・キーボード:ポッキー/井上俊次
・ベース:ファニー/田中宏幸
・ドラムス:デイビー/樋口宗孝

レイジーは某番組でディープ・パープルの「BURN」を演奏しそれがきっかけでデビューすることになりました。

そのルックスと所属事務所の方針からアイドル路線で売り出された。
当時、イギリスで絶大な人気を誇っていたアイドルバンド、ベイシティ・ローラーズにあやかりおそろいのコスチュームで、まさにアイドルの雰囲気!

これには当の本人たちも困惑したらしく、ウィキペディアによれば次のような想いを抱いていたようだ。

ボーカルの景山は「生き残るということを考えれば(アイドル路線は)妥当なものだったと今なら思えるが、当時はショックの方が大きかった。」ギターの高崎は「ロックは弾けてもポップは弾けないと分かったので、将来のことを考えて音楽性を広げるために真面目に練習したが、ストレスは溜まった。」と語っている。

このような違和感をメンバーそれぞれが抱きながらの船出となった。。。

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レイジー3枚目のシングル『赤頭巾ちゃん御用心』がヒット!

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本人たちの意思とは裏腹に3枚目のシングル『赤頭巾ちゃん御用心』がスマッシュヒットし、レイジーの名を広めるとともに世間からはアイドルバンドとの認知をされてしまうという皮肉な結果となってしまう。

↓アイドルらしからぬ歌唱力。

↑高崎氏のギターの音がカットされており、非常に残念である。

レイジー音楽性の追求による葛藤

ポップなアイドルグループとして活動しつつも、ライブでは洋楽なども演奏し、ロックへのこだわりを見せていた。特に高崎氏のギターは目ざといロックファンから注目されることとなった。
当の本人たちはそれぞれにアイドル路線と(やりたい音楽(ロック))とのギャップを感じ続けていたようだ。

↓これは解散のきっかけともなった宇宙船地球号からの1曲。
http://youtu.be/n55j9XZtI1s
↑こんなアイドルバンドみたことない!!

レイジーロック宣言そして解散

ウィキペディアに解散までのプロセスが書かれていたので、そのまま引用します。

(ウィペディアより引用)
1980年7月から始まったツアー「DOMESTIC TOUR IN SUMMER」で「ヘヴィー・メタル宣言」が行われた。
これは彼等が「本当にやりたい音楽」をやるための、宣戦布告とも呼べるものだった。
その後、シングル『感じてナイト』を経て発売されたアルバム『宇宙船地球号』はハードロック調の曲で統一され、それまでのアイドルバンドとしての彼等のイメージを根底から覆した。
本来ハードロック志向だった彼等が本当の姿を見せ付けたのが『宇宙船地球号』であり、これが本当のスタートになるかと思われたが、その結果としてメンバー間の音楽性の違いが浮き彫りになっていった。そのため、景山の20歳の誕生日である1981年2月18日に調布グリーンホールで行われたライブで解散宣言が行われ、同年5月31日、正式に解散。その活動に終止符が打たれてしまう。

これが解散までのプロセスです。筆者も解散の引き金となった「宇宙船地球号」を実際買って聴きました。
アイドルではなかったですね。上質のハードロックであり、この流れは高崎氏、樋口氏がラウドネスへと続く流れでありサウンドであったと言えます。
アルバム自体も実に良い出来で、レイジーの最高傑作でしょう!

↓宇宙船地球号からの1曲!

レイジーからそれぞれの道へ

元々、メンバーそれそれに演奏スキルが高く、各自その道で成功を収めています。
ご存じの方も多いでしょう。ギターの高崎氏と樋口氏は、ラウドネスを結成し、世界的な成功をおさめました。

ボーカルの景山氏は、ソロで活躍。特にアニメソングの帝王としてかなり知名度が高いですね。

田中氏と井上氏はポップ路線のバンドを経て井上氏は音楽プロデューサーに転身されています。

レイジーは不滅です。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ベースの田中氏は2006年に永眠。
ドラムスの樋口氏も2008年に他界されています。

オリジナルメンバーで再結成の夢が断たれたワケですが、アイドルらしからぬ高い演奏能力で、レコードセールス等の記録よりも記憶に残るバンドであったことは間違いありません。

追悼を込めてクレイジードクター

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最後に他界された田中氏、樋口氏へ追悼を込めてラウドネスのクレイジードクター

当時、筆者もレイジーの宇宙船地球号のLPレコードを購入しその実力にぶっ飛んだものでした。
ありがとう!レイジー!
貴方たちの曲は今でも多くのフォロアーの方々が今日も日本のどこかで演奏していることでしょう。

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