最近、ブログなどを中心に(ビートルズへの過大評価)の書き込みや記事をよく目にします。ここでは中立的立場から冷静にこの意見に関して記してみようと思います。
ビートルズがレコードデビューを果したのが1962年です。もう半世紀が過ぎたワケですね。それで、過大評価だ!いや過小評価だ!の意見が繰り広げられている。。。このこと自体がまずもって凄いバンドであると言わざるおえないと思います。現在でも売れている人気バンドがこの先、半世紀経過後にどれだけ人々の記憶に残っているだろうか、、、そう考えればやはり凄いバンドと云えるのではないでしょうか。。。
1962年頃の音楽業界
当時の曲作りのプロセスは大体以下のような流れで作られていたようです。
作詞家、作曲家、歌手、演奏者はハッキリわかれており、作詞家や作曲家は曲を書き溜めて音楽出版社に登録し、レコード会社の担当者が歌手に合う楽曲を見つけてくるというプロセスが定石であったようです。
ビートルズのデビューシングル(A面:ラブ・ミー・ドウ B面:PS.アイ・ラブ・ユー)はA面とB面の両方とも自分たちで書かれたオリジナル曲だったのです。これは当時の曲作りやレコード会社のシステムからしたら異例中の異例であったに違いありません。
ビートルズの将来性や可能性を認めていたジョージ・マーチン(プロデューサー)でさえ、他人が書いた曲を用意していたほどだったのですから、、、
プリーズ・プリーズ・ミーの大ヒットがカギ!!
この当時の音楽業界常識をはねのけて、同様の手段でビートルズのオリジナルにより2ndシングル、「プリーズ・プリーズ・ミー」は大ヒットになったのです。つまりは、現在まで続くプロミュージシャンやバンドの自分たちのオリジナルでデビューし、自分たちの曲で勝負する土壌はビートルズによって確立された。といっても過言ではないですね。
さすがに磨きあげられた曲ですね。まったく無駄がない(ポップ・ロックはこう作れ!)みたいな旋律の見事さ。曲の構成やアレンジはその時代で変わりますが、メロディは普遍なんですよ。その典型でもありますねこの曲は・・・
ロックギターを中心としたロック・バンド編成の復権
ビートルズも例外なく下積みの時代がありました。デビューにあたりいくつかのオーディションを受け断られもしています。そのエピソードとして、あるレーベルのオーディションで「ギター・バンドはもう終わりですよ。時代遅れなんです。」このレーベルこそが、あのデッカであり、1960年当時で既にギター中心のバンドは時代遅れというこの劣勢を跳ね返し、ロックの再活性化の原動力となったと云えるでしょう。そして現在までも脈々と続くギター中心のロック系バンドの道を作ったのもビートルズ。ビートルズの成功がなかれば、現在まで語られるロック・ギタリストが生まれたかどうかも危ういところでしょう。
ライブバンドとしてのビートルズ
よくビートルズの演奏能力は大したことない。とこれもよく話題にのぼる話です。これについてはどうでしょうか。。
ビートルズがライブ演奏の腕を磨いたのが、ドイツのハンブルグ時代と言われています。もともとビートルズの俊敏マネージャーとしてビートルズを見出したエプスタインもキャヴァーンというクラブでのライヴを見て圧倒されたことがマネージャーになる直接の要因であったというエピソードは有名な話です。
以前、海賊版でハンブルグ時代の録音が世にでたことがありました。筆者もあるルートで入手し聴いたことがありました。演奏技術を言えば今の水準から見れば低いと言えるかもしれません。しかし50年も前のバンドなんですよ。そのころのミュージックシーンでは十分通用したテクニックのバンドだと感じましたね。注目すべきは、演奏技術より、よくこんな印象的なフレーズを次から次に考え付くなあと思いましたね。今のようなPA技術もない時代。劣悪ともいえるステージ環境で音やリズムをはずしたような録音ではありませんでしたので、ビートルズの面々がいかに鍛えられていたかが想像するに難しくなかった点。そういう意味でもビートルズはライヴバンドであったとも言えますね。途中から、ライブを辞めてしまったのでライブバンドの印象がないだけの話です。
音楽家が語るビートルズ
どなたかがまとめたビートルズをさまざまな分野の音楽家やミュージシャンが語った言葉をまとめた動画です。
こちらはその2です。
しかしこのような映像まで作ってしまうビートルマニアに賛辞の言葉を贈りたい。「素晴らしい動画」であると!
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