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トーミー・ボーリン「ジェフ・ベック以上ジミ・ヘン以下」悲運の70年代の天才ギタリスト②
- 2014/6/3
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- トーミー・ボーリン, 天才ギタリスト
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悲運の70年代の天才ギタリスト トーミー・ボーリン(Tommy Bolin)
Tommy Bolinトーミー・ボーリン
悲運の天才ギタリスト才能に恵まれながら時代の波に消えていった天才ギタリストを紹介
炎のギタリストと呼ばれたトーミー・ボーリン(Tommy Bolin)は18歳でブルース・ロック
バンド・ゼファーでデビューしました。
そしてスターダムに上がっていたアメリカのバンドジェイムス・ギャング (James Gang) に、
ジョー・ウォルシュの後任としてジョー自らが推薦。
その後、1975年6月、イギリスのハードロックバンド、ディープ・パープルに、リッチー・ブラックモアの後任ギタリストとして加入したのは衝撃的でした。
ジェフ・ベックに影響を与えたトーミー・ボーリン
そしてこの若き天才ギタリスト・トーミー・ボーリン(Tommy Bolin)の名を世にしらしめたのが
ジャズ・ドラムのビリー・コブハムのソロアルバム「SPECTRUM」
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トーミー・ボーリン(Tommy Bolin)のギタースタイルははジミ・ヘンドリックスに傾倒しつつも
ジャズのアプローチも体得していてジャズの分野で世の中をあっと驚かせたギタリストでした。
「SPECTRUM」でのトーミー・ボーリン(Tommy Bolin)のギターは
ジェフ・ベックに影響を与えジェフ・ベックの名盤「Blow by Blow」を作らせたとも言われてます。
トーミー・ボーリン(Tommy Bolin)のギターはジミヘンばりの型破りなロックギターや
一転してファンキーなグルーブなど実に多彩なギターを聴かせてくれています。
トーミー・ボーリンの悲運の死と汚名
しかし、トーミー・ボーリン(Tommy Bolin)
思わぬところで、致命傷とも言われる落とし穴が待ってました。
それは、ドラッグ依存症
彼の麻薬依存症はディープ・パープルのアジアツアー時
東南アジアでの悪質なヘロインの摂取が原因で手の指が麻痺など
プレイには精彩を欠いており「ディープ・パープルを解散に追いやったギタリスト」の汚名の烙印を押されています。
また、ジェフ・ベックのツアーの前座をつとめていた彼のギタースタイルロックとジャズの融合
そのまま、ジェフ・ベックが踏襲し開花させることとなり
土台を築いたトーミー・ボーリン(Tommy Bolin)の功績は時代の流れの中でかき消されてしまいました。
そして1976年若干25歳の若い命で
天才ギタリスト トーミー・ボーリン(Tommy Bolin)はドラッグによりその生涯を閉じました。
最近になって全盛期のアルバムの再発により
トーミー・ボーリン(Tommy Bolin)のギタリストとしての汚名返上した感があります。
そのキャッチフレーズは
「ジェフ・ベック以上 ジミ・ヘンドリックス以下」
Tommy Bolin – Stratus (Live Jam with The Good Rats at Ebbets ’74)
ジェフ・ベックが今年のジャパンツアーでも演奏した「Stratus」は
天才Tommy Bolinへ捧げる曲
トーミー・ボーリン(Tommy Bolin)70年代を駆け抜けた炎のギタリスト
ロック界への影響は多大なものがあったといえるでしょう。
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