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ジョージ・ハリスンの死と日本ツーア(4)
- 2014/2/19
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さて、4回わたって書いて来た、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンですが、僕としても正直色々と調べているうちに知らない事も多く非常に興味のある内容となりました。
クラプトンとジョージの思い出の場所、日本で
前回はジョージ・ハリスンの音楽活動の復興をクラプトン日本ツアーという企画をしたこと、しかし急なクラプトンの愛息コナー死からクラプトンを立ち直らせるための運びとなった日本ツアーの事を書きました。
そして、その日本ツアーからちょうど10年後の2001年闘病の末にジョージ・ハリスンの死
これは、奇しくも、クラプトンの日本ツアー中におきました。
2001年11月29日のことでした。
僕はこの日は、福岡に住んでいて長崎に旅行に行っていて、タクシーの中のラジオでこの事を知った事を今でも鮮明に覚えています。
そして、この日にクラプトンは日本ツアー中だったことは今回初めてしりました。
そして、この2001年のツアーで実はクラプトンは今回のツアー同様1度はワールドツアーからの引退を表明しており、ブラッキーやブラウニーという自分の分身ともいえる大切なギターをオークションにかけ、そのお金でドラック中毒の更生施設クロスロードセンターの運営基金にあてています。
この、引退ツアーの最終の場所はジョージと10年前にお互いを支えあってツアーを実施した日本を選んだのです。
そして、2001年11月29日最終日ツアー先の日本の横浜アリーナで遠く米国でのジョージハリスンの訃報を聞く事となったのです。
この時、クラプトンは何を思ったのでしょうか?
そして、この時の心の動きがクラプトンに一度は決心したワールドツアー引退を撤回させたのでしょうか?
真相は誰もわかりません。
60年代の後半から様々な試練をの超えて歩んで来た2人の偉大なミュージシャン、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン。おそらく2人にしか分からない世界があるのでしょう。
日本でのワールドツアー中にジョージの訃報を知ったクラプトンはマスコミ等へは沈黙を守ります。
ただ、日本のファンには「この歌をジョージ・ハリスンに捧げます」と言って歌った歌、
クリームの時代に二人で初めての共作となった「BADGE」
そして、クラプトンは追悼コンサート「コンサート・フォー・ジョージ」の主催を努めます。
ビートルズのメンバー、ポールマッカートニーやリンゴスターでもなくエリック・クラプトンの指揮で
ジョージ・ハリスンの追悼コンサート「コンサート・フォー・ジョージ」は行われました。
そして、クラプトンはこの追悼コンサートを映画としてまとめ、初上映に日本を選んでいるのです。
その会場となった東京会場では、エリック・クラプトン自らも列席しています。
そういった意味でもクラプトンとジョージの二人にとって日本は特別な場所だったのでしょう。
今回、さらに10年以上引退を伸ばしたクラプトンはこの日本の地で何を思うのでしょうか?
願わくばジョージ・ハリスンを思い「BADGE」を演奏してもらいたいものです。
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